主人が決めたきまりごと

我が家にはいくつかの決まりごとがあります。
ご飯を食べている時にはテレビを見ない、お風呂から上がったら必ず換気扇を回すなど、どこの家庭でもやっているような、珍しくもないものばかりです。

ほとんどは私が決めたものですが、一つだけ主人が決めた決まりごとがあります。
外から帰ったら靴下を脱いで足を洗うこと。

家族全員徹底して守るように言われているのですが、私も息子も超が付く寒がり。
冬に靴下を脱ぐだけでも嫌なのに、その上冷水で足を洗われるので、息子は毎回嫌がって泣いています。

私もちゃんと洗うように言われるのですが、靴下を脱いでさっさと逃げています。
なんでも主人も小さいころからやらされていたのだとか。
気持ちはわかりますが、ちょっと迷惑です。

幼い頃のトラウマの弊害って、本人だけじゃなくて関係者も巻き込まれる恐れがあるので、本当に厄介なんですよね。
昔は無条件に父親が威張っていたりした家庭が多かったと思います。
単なる勤め人なのに、一家の大黒柱だからと必要以上に恐れていたりと、今考えると意味不明な状況です。

そんな家庭環境では、父親の間違いを正すことは間違いであると洗脳されていくのですよ。
で、その親が年老いていくと、仕事一筋だったので、実は日常生活に必要な事が全く出来ないということもあります。
とんだ大荷物になるわけですよ。

そのくせプライドだけは高く、ホトホト扱いに困るんですよね。

人に必要とされることの嬉しさ

人が良いのが取り柄の我が夫は、よく人から頼まれごとをしてボランティアをしています。
ご近所さんにも、同じようなタイプの旦那様がいらっしゃって、日曜日を誰かの為に使っているようです。

時には、二人呼ばれて何かのお手伝いをすることもあります。
昔は、休みのたびにこうやって頼まれてはあちこち出かける主人の事を、少々呆れて見ていました。
どうして嫌だと言えないのかと、腹を立てたこともあります。
優柔不断だと言ったこともあったかもしれません。
でも今は、そんな主人を誇らしく思っています。
お金勘定だけで動く人よりも、喜んで世の中に貢献できるような人に選んでもらった自分の事も少し誇らしく思えるのです。
そして、今はただただ主人の事を羨ましく思います。
なぜなら、人に必要だと思われている人であり、信頼されている証拠。
間違いなく存在価値のある人だからです。
もちろん、この世の人間はみんな存在する価値も意味もあります。
それでも、時々そのことが分からなくなり、不安になってしまうこともあります。
自分のことを誰かと比べて、ちっぽけだと思ってしまうのです。
ですから、こうやって証拠のようなものがあることは、実は自分にとってメリットの高い事のような気もするのです。
残念ながら私は、そんな人にはまだなれていません。
でもいつか、私もそんな人になりたいと思っています。
主人が誰かの為に行動している時、カッコ良いなと本気で思います。
たとえそんなに裕福な人間でなかったとしても、こんな風に頼られる人であることのプライド。
私はステキな人と結婚したと思っています。

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