娘の育児について
子供の頃から漠然と、(いつかはお母さんになりたい)と思っていました。でもいざ母親になってみると、「子供は3歳までに一生分の親孝行をしてくれる」と言われている事を心から実感する日々・・。
最初の躓きは、大人しい長女が入園式の日から泣いて園に行きたがらず、その生活が同年11月まで続き、もうこちらが泣きたくなる毎日を過ごしていた頃です。
私自身は、上に姉がいて場所慣れしていたせいもあるのでしょうが、入園を心待ちにしており、実際通園が叶った日からは喜び勇んで園服に着替えていました。
それを、朝起きた瞬間から「幼稚園、行きたくないな」と言う暗い表情の娘を見るだけで、どうして大半の子ができてる事に我が子が躓くのか、何故私がこんな苦労を強いられるのかと情けない思いでいっぱいになり、今思い返すと言ってはならない言葉を散々娘に投げつけていました。
「あなたはママを苦しめたいんだね」「楽しく幼稚園に通えてる○○ちゃんのママが羨ましいよ、ううん○○ちゃんだけじゃない。あなた以外みーんなぐずらず普通に幼稚園に行けてるもんね。全員のママが羨ましいよ」
はたまた何事にも消極的で声の小さな娘に対して、わざと「えっ?語尾が聞こえないんだけど何て言ったの?全然聞こえないよ」と意地悪く言ってしまった事も。
そしてそんな言い方をしてしまう自分が嫌で自己嫌悪に陥り、次の瞬間には娘を溺愛する猫なで声を出す甘い母親に変身したりと、感情が一定せず、どことなく落着きに欠ける家庭でした。
近年は、10年以上に渡る不妊治療の末に、やっと授かった手のかかる双子を産み、精神かき乱される事もなく、慈しんで育てている姉を見ては10年以上前の自分を恥じる日々でした。
まだまだ子供だった20代で母になった私と、40代で母になった姉という差があるだけよと周囲は言ってくれます。
いえ、でも私は体力の衰えが顕著になった今のこの年で、もし双子ママになっていたら、きっと小言すら言う気力もなく、ボーッとするばかりだったかもしれません。
姉の育児を見るにつれて、後悔ばかりが押し寄せ、子供たちに申し訳ない気持ちで苦しくなっていた私。
ところがある日、そんな私に娘は言ってくれたのです。
「ママみたいに完璧には程遠くて落ち度がある人がママで、私はずっと気が楽だったよ!」と。
トホホときましたが、流行した「適当母さんのすすめ」の模範のような母親であった事は確かなのかもしれません。
いつも小奇麗で落ち着きのある笑顔の素敵な優しいママに憧れてきましたが、私には夢のまた夢の母親像。
この年になって、どんな子供も親の思うようには育たないんだという事がクッキリと見えてきました。
頑張っても頑張らなくても結果が同じなのだとしたら、根からの省エネ体質の私は、(私は私なりの育児で良かったのかもしれない)と思えたのでした。